◆Miyuki


銀座のギャラリーに着いたのは、約束の30分も前。
ギャラリーの中に入ってみる。外は寒すぎる。他の所に比べると、静かすぎない空間が心地よい。
若いカップルや 年配のご婦人の姿もみえる。テーブルの上のリーフレットを 手に取ってみた。
画廊常設展と、今の期間の紹介欄に書いてある。 そうよね、この心地よさは作家の個展期間には ありえないものね。 自己主張の空気が張り詰めていて、変な静けさの緊張感がたまらないときがある。
でも いつだったか、小さなガラス張りのギャラリーで 聴いた事のない音楽が流れていたから つい誘われるようにその空間に入った事があった。
大きな石の塊が空間の中央にある。 私の身長よりも大きな石に圧倒されていたら「手を入れてみませんか?」と、後ろから声をかけられた。 「手をいれるって・・・?」言葉の意味が把握出来ずにいると、その声の主が 丁度私の 腰の高さくらいにあった 石の隙間を指差した。「ここですよ」なんだか、ローマへ行った時の 『真実の口』を 思い出しながら、私は 恐る恐る教えられたところに手を 入れてみた。
冷たくて固いものに触れたと感じた瞬間、その感覚と大きな石のイメージからは 程遠い 澄み渡る優しい響きが空間の中に 共鳴しはじめた。「え?」私の 驚く顔がよほど可笑しかったのか その人が 愉快そうに笑っていた。「ね?見た目じゃ判断出来ないでしょ?外側は石、この音は鉄ですよ。」 初対面ながらすっかり、彼の手中に嵌まってしまったのか 私も素直に驚き 笑っていた。 彼が その作品の創り手だということが 何時の間にか解っていたし、美術展特有の「触ってはいけない」 という緊張感も吹き飛ばしてくれたから、流れる音楽の音量への配慮も嬉しかった。 あんな 個展なら またいつでも覗いてみたい。

思い出し笑いをしながら ギャラリーの奥まで行くと、二階への螺旋階段があった。 その脇に 小さなメニュースタンドが置いてある。時計を見ると少しの余裕がありそうなので 私は 階段を上がることにした。普通のティー・ルームなら、新聞や雑誌がありそうな所に やはりギャラリーらしく 画集や写真集が重ねてある。その中から、クリムトの画集を選んで窓辺の席についた。 ミルクティーを頼んで 画集を手に窓の外を眺めると雨が降り始めていた。 次々に 色とりどりの傘の花が咲いていく。

そういえば、あの人と別れた時もこんな光景を眺めていたような気がする。
街中に クリスマスのイルミネーションが輝き、ジングルベルが流れていた。バブルの絶頂期だったせいね。 行き交う人達皆が 幸せそうに歩いていたわ。
私は 上の空で、あの人の別れ話を聞いていた。 「おい、聞いてるのか」苛立つ声が 私の視線を遮り、私の指から煙草を取り上げ もみ消した。 「結局 お前は煙草も止めなかったよな。」また、退屈な話のぶり返し・・・。
いったい いつになったらこの人は気付くのだろう『・・・して欲しい』と、求めてばかり。 自分の理想像に私を あてはめているだけ。はみだした部分は切り捨てて 見ない振りね。
はみ出した部分に 私がいる事、あなたは気付いていない。
私ね、もう疲れているのよ。煙草も吸うわ。あなたの知らない友達とこれから夜通し騒ぐのよ。 かわいい女になりたかったのは 本当よ。あなたの束縛も 嬉しい頃があったわ。
私の作るシチューが 美味しいと言ってくれたわね。 いつも あなたが私の部屋に来る時は、冷凍庫のシチューを楽しみにしてたものね。
「たまには、俺の為にさぁ 作りたてのやつ出してくんないかなぁ・・・チン!じゃなくて」 そうね、あなた 知らないものね・・・。あなたの為だけに 作っていたの。
あなたが部屋へ来る前の日は、一日掛かりでホワイトソースから仕込んだり、デミグラスソースなら 3日もかかっていたわ。それを5分もしないで食べ終えるあなたに「あなたの為に 一生懸命つくったの」なんてセリフ 私には 言えないもの。いかにも・・・って感じ、苦手なの。
そして あなたが来る前に冷凍庫へ入れていた。カチコチになんか凍っていなかったのよ。
あなたが 選んだあの娘は、ソースなんて作れそうにないわね。せいぜい、ブロックタイプのルーを入れておしまいかしら。 それでも 私には言えないセリフが言えるわよね。「美味しいでしょう?あなたの為だけに作ったのよ。」ってね。 だから 私の出番は、もうおしまい。
安心してね、あなたにすがって泣いたりしないから・・・それとも 期待していた?
きょうは、最後だからお洒落してきたんだもの。最高の笑顔で お別れするわ。 呆気にとられる あなたの顔に安堵の色が浮かぶのは見たくないから 振り向かない。
外に出ると、冷たい風がセットしたての髪を乱した。ジングルベルがあちこちから 覆い被さってくる。
馴れない7cmのヒールが 痛すぎるから 泣きたくなった・・・。

時計を眺めると 約束の時間を過ぎていた。待ち人は まだ現れていない。
私の手を『真実の口』に入れさせた彼・・・、相変わらず時間にルーズね。「芸術家は、時間なんかに拘束されないんだよ」が いつもの決まり文句。聞き飽きたわ。
雨雫が垂れる窓ガラスにぼんやりと、今日も お洒落している私が写っている。

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